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郡山歯科医師会について

郡山歯科医師会の歴史

現在の郡山歯科医師会(郡歯)は、昭和17年12月に福島県歯科医師会(県歯)11支部の一つ、郡山支部として誕生した。初めに、昭和17年以前の郡歯について紹介したい。

当時、安積郡郡山町に最初に開業したのは斉藤誠一である。斉藤は、明治30年4月に歯科医術開業試験に合格した後、安積郡郡山町字稲荷町31番地に開業(明治31~32年頃と思われる)した。その次に長崎兵治(明治33年4月、郡山町字燧田92番地)、佐藤正雄(大正元年)、佐藤平八(大正2年)の順で4人が開業。以後大正12年の暮れに武藤実が開業し、郡山に10名の歯科医師が誕生した。

この大正時代には、金の配給問題に端を発して、県歯は解散し、三郡市歯科医師会時代に入ることになる(大正8年6月~大正15年7月)。分裂当時の福島県県南歯科医師会は、安達、安積、岩瀬、田村、石川、西白河、東白河の7郡連合によって組織され、その中核を郡山が担った。

大正15年7月、公法人福島県歯科医師会の設立に伴い、県内を3分していた郡市歯科医師会は解散し、新しく郡山、岩瀬石川、東西白河、田村を中心とした県南支部が県歯の1支部として組織され、昭和17年に11支部に分かれるまで続いた。

福島県県南歯科医師会時代、そして県南支部時代ともに郡山地区の果たした役割は大きく、斉藤誠一を初め多くが会長、支部長、理事を務めた。

<県南支部時代の歴代支部長>
加藤親義 (郡山、T15年7月~S3年3月) / 阿久津寿助 (郡山、S3年4月~S7年3月)
遠藤茂延 (須賀川、S7年4月~S15年3月) / 佐藤勘兵衛 (郡山、S15年4月~S17年12月)

以上4名が歴任、特に佐藤勘兵衛は昭和17年12月に郡山支部が誕生した際の初代支部長として尽力した。

それでは郡歯や、会則が出来たのはいつ頃なのだろうか。郡歯機関誌「口」13号(昭和35年1月17日発刊)の回顧録によれば、先に触れた斉藤誠一、長崎兵治、佐藤正雄、佐藤平八の4名が相談し、郡山だけの会を大正初期に初めて作った。

これは支部というのでは無く、郡山独自の会で、当初は飲み会や診療費の協定等を相談する会のようであった。その後少しずつ会員が増え郡山歯科医会(当時はこう呼んでいた)に入会する様になる。新入会員の歓迎会が催され、毎月一日を休みにして「一柳のわきのそばや」で会合が持たれていた様である。

明治39年5月2日に配布された歯科医師会規則第一条により、歯科医師会を組織するためには歯科医師が10名以上必要であった。

大正から昭和にかけて、関東大震災、大東亜戦争を契機として郡山に多くの歯科医師が開業した。郡山歯科医会を正式な会として発足させるに十分な人数は満たしてはいたのだが、当時(大正15年~昭和17年)は公法人福島県歯科医師会県南支部が当地区歯科医師会の主体をなしていたため、郡山地区では会長や支部長を設けず、鈴木義三らが当番幹事制で運営していた様である。しかし、昭和15年~16年になると、郡山地区の歯科医師数も30名を超える様になり、郡山地区だけの歯科医師会と、規則が必要になって来たものと考えられ、昭和16年1月に、郡歯会則、ならびに郡歯を組織することになった。(この会は、公式の歯科医師会ではなく郡山地区のみであり、当時の正式名称は福島県歯科医師会県南支部である)

ここで当時の会則をみてみると、今まで郡山歯科医会の名称も郡山歯科医師会と改称され、初代会長は佐藤正雄であった。昭和17年12月、国民医療法に基づき、県歯郡山支部が正式に誕生した際、郡歯二代会長、佐藤勘兵衛が初代郡山支部長になった。

しかし、正式に郡山支部の会則ができたのは昭和22年のことである。昭和22年11月25日制定の県歯支部規則により、「福島県歯科医師会郡山支部会則」として制定、施行され、昭和47年4月1日に新しい「郡山歯科医師会規程」が施行されるまで25年間にわたり存続した。

大正時代の初期に4人でスタートした「郡山歯科医会」も時代を経て平成22年12月1日現在163名の会員数を誇る「郡山歯科医師会」に発展した。

さて、郡歯として特筆すべき事はといえば「新年学会・祝賀会」「歯の健康フェア」「郡歯旅行」「療育センター歯科協力会」もあるが、何と云っても昭和28年発刊、平成23年で63号を迎える機関誌「口」、郡山方式とも呼ばれた「保歯協」すなわち「郡山保健所歯科協力会」であろう。しかし、ここでは割愛したい(県歯七十年史、90年のあゆみ、郡歯五十周年記念誌に掲載されております)。では次に、ここ十年の概略について述べたい。

<栁田教夫会長時代 (H14年4月~H20年3月(3期))>
  • 15年8月 2才児検診事業開始
  • 16年3月 郡山市による在宅寝たきり老人等歯科、訪問診療事業の終了
  • 18年6月 休日救急歯科診療所が郡山市医療介護、病院(ビックハート)へ移転

と年報の沿革の記載はここまでであるが、各種マニュアルを整備し、機構改革に取り組んだ事を忘れてはならない。機構改革特別委員会(平成14年10月佐藤斌宏委員長)、(平成17年4月本田和憲委員長)を設置し、それぞれ答申を得、年々目減りして行く特別会計対策、事務局改革、そして法人化への母体を作った。

<藤田富夫会長時代(H20年4月~)>

絶大なる人気を誇った栁田会長の後を継ぎ、気苦労も絶えなかったと思うが、法人設立委員会(平成22年4月尹日祚委員長)を設置し”法人化へまっしぐら”、この一語に尽きる。平成23年4月には、いわきに次いで県内2番目の法人が設立している事であろう。

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